英語による英語教育

結論
 英語を習い始めたばかりの初心者は母国語を使って英語がどのような仕組みの言語なのか説明を受けなければ、少しも英語が理解できるようにはならない。
 英語がある程度理解できるようになった生徒には、英語を使って知識を得るという経験をさせるため、英語を使って他教科を学習させるべきだ。この勉強が身の回りの森羅万象の現象や知識を英語で表すことが出来るようになるための手がかり足がかりとなるはずである。ひいては、このような学習がTOEFLのような学術的英語の運用能力をはぐくむのにつながると思う。


 私は英語による英語教育推進論には懐疑的である。英語が全く分からない日本人に英語で話しかけ続ければいつか英語を理解してくれるのであろうか。日本語と英語では使われる音声に違いがある。その違いが理解できないまま英語を学習し続けようとすると、学習する過程で非常に多くのエラーが生ずることになる。たとえば、英語のlとrの違いが十分に理解できていない英語学習者はleaderとreaderを混同する恐れが高い。
 たしかに、英語で授業を行うことで英語でコミュニケーションを図る機会を増やした結果、生徒の英語に対する興味が増したり、英語に楽しみを見いだす機会が増えるかも知れない。しかしながら、英語力の不十分な生徒に対して無理矢理英語を使った授業を行うことで生徒が英語という言語についての十分な知識が得られないと言うことになってはいけないのではないかと考える。
 また、確かに、英語を学習した者が達成感を得たり、英語を学習した結果どのようなことが出来るようになるのか生徒が身をもって知ることが出来るようになるのは良いことだと思う。しかし、英語が全く理解できない者に対して英語で話し続けることが英語の上達に資するとは考えない。もし、英語で英語を教えるならば、英語がある程度理解できる生徒に対してのみ与えられる教育だろう。