ノルマン侵略 Norman Conquest

イギリス人のノルマン侵略の受け止め


現代のイギリス人は、ノルマン侵略をフランスの部族によるブリテン島の侵略とは考えない。なぜなら、何世代も昔のことであり、このときやってきたノルマン人も今ではイギリス人の一部として吸収されているからだ。また、現代英語は、このときに持ち込まれた多くの単語は、フランスから持ち込まれた。イギリス人は、フランスの侵略戦争だったとはとらえず、今日のイギリスに大きな影響を与えた大昔の一大事としてとらえている。


エドワード懺悔王の死


エドワード懺悔王は後継者を決めないまま死んだ。イングランドで最も有力だったハロルド・ゴドウィンソンは、エドワード懺悔王の死の後、無理に王位を継承した。これに対して、ノルマンディー公のウィリアムとデーン王朝のハーラル3世の両者が、イングランドを統治する正当性を主張し、イングランドに派兵した。イングランドは、デーンをスタンフォード橋の戦いで下したが、その戦いで軍は消耗したため、ノルマンディーとのヘイスティングズの戦いでは、敗北を喫し、その後、300年間に亘ってフランス語による支配を受けることになった。


ドゥームズデイブック


ノルマンディーからやってきたウィリアム一世が行った検地の結果を書き記した世界初の土地台帳。土地だけでなく、家畜や財産なども書き記され、課税の対象となるものが広く記された。
このような台帳は、当時の英語で書き記すことが出来なかった事柄がラテン語で記されたため、結果的にイギリスでラテン語の権威を高め、ラテン語起源の単語が英語に多く入った理由が垣間見られる書物である。
記録された土地の内、半分は190人によって所有されたのに対し、もう一方の半分は、僅か11人によって所有された。大きな土地を所有したものに英語を話すものはなかった。これもまた、ノルマンフランス語がイギリスに定着する要因の一つとなった。


フランス語の影響を受けた中英語の確立


1066年のノルマン侵略から宗教や教育、行政、法律では、もっぱらノルマンフランス語が使われるようになった。それまでは、英語で行われてきた機能がノルマンフランス語で行われるようになった。ノルマン侵略から300年ほどの間にフランス語から10,000語もの単語が英語に入り、全体の凡そ85%の古英語の語彙が失われたと言われる。
庶民は古英語を使うものが多かったが、宗教や教育、行政、法律に携わることの出来るものが優位な立場に立ったため、次第に、庶民の言葉にもノルマンフランス語が浸透していくことになった。
英語に侵入したフランス語

war

army, archer, soldier, guard, battle, conquest, castle, arms, siege, lance, armor, seize, sword, blood

social order

crown, throne court duke baron nobility, peasant, vassal, servant
administration govern, authority, traitor

law

felony, arrest, warrant, justice, judge, jury, accuse, acquit, sentence, condemn, prison, gaol

food

porter, salmon, mackerel, oyster, sole, pork, sausage, bacon, fruit, orange, lemon, grape, tart, biscuit, sugar, cream, menu, fry, vinegar, herb, olive, mustard, appetite,

other

son, ground,